10000ひっと 勝手に妄想企画



「瞳に映るもの3」







「見ろよ。月が死んだ魚の目みたいな色してる。」

夜、濃い青の空気の間を縫って、
気配を消して歩く三人のうち、
最も壮麗な一人の男がつぶやいた。

「詩人ですねえ。」

眼鏡をかけた麗しい男は、いつも見せる笑みをくずさず
マントを夜風にはためかせている。

その後ろを、楽しげに見つめるもう一人の男は
愛嬌のある顔立ちをして、体つきには似合わない
繊細な足取りで気配を消していた。


エルゼリオとアーサー。そしてマルトである。


彼らは目下、見方の駐屯地内で、
潜むように行動していた。

総指揮官のテントまで足を運ぶつもりである。

草陰に隠れるようなことをすれば、
逆に味方駐屯軍地内なだけに、
怪しまれてしまうから、
気配だけ消して歩く。


気配を消して歩いておけば、
すれ違った者には印象に残らない。

特に見た目が派手な二名は、
この気配の調節を自分で行うことに

かなり気を使っていた。

おそらく、いつも真昼の太陽のような輝きを放つ二人の印象は
今夜、朧月のような淡さで、
すれ違った人々の記憶に残るだろう。

おそらく目的地周辺は警備が厳重で、
腕の立つ兵士がテント入り口前を守っているだろう。

マルトはそう確信して、少しばかりの恐怖に囚われていた。
しかし、エルゼリオとアーサーに
そういった恐怖は見られない。

アーサーはいつもの笑顔を崩すことはないし、
エルゼリオは例の特殊な嗅覚のような感覚機能で、
何かを察しているようだった。

彼らはとりあえず、
目的地にあと数メートルという場所の木陰に隠れた。


彼らは緋色の旗がはためく、同色のテントと
その前に立っている見張り兵士を眺める。


まだ、例の商人は訪れていないらしい。

「待つか。・・・なあ、アーサー。」

と、エルゼリオは木陰に潜む夜の獣のように、
瞳だけ何故か闇の中で輝かせながら、
心地よい声を発した。

「お前、『マークされてた』ことに気づいてるか?」

すると、にこりと微笑んだ男は
人差し指で眼鏡を少し上へ持ち上げた。

「はい。僕はまあ、いわば国から派遣された監視役ですから、
多少は警戒しているようですね。

ですが、やはり貴族の領地内では
貴族が国王みたいなものですから、

『郷に入らば郷に従え』といったところでしょうか。

あまり勝手な動きはされたくないんでしょう。」

「難儀な役目だなあ。」

と、マルトは一人感心して首を縦に振ってうなずいている。
すると、横目でテントを盗み見ながら、
品のある獣のような男が

たずねた。

「…命を狙われたことは?」

その言葉を聴くと、
アーサーは再び身震いを感じた。

さらにエルゼリオは続ける。

「いや、正確には命を狙われたことは幾度かあるが、
もっぱら暗躍して処理している国からの派遣役が、
もう一人か二人、この軍隊内にはいる。

俺の推測では二人だけれどもね…。

そして、それが誰かも検討はついてる。
すると、又違った見方ができる。」

「ちょ、ちょっとまった!」

と、農民出の男は、体格に似合わない慌てぶりを見せた。


「そ、そりゃ、この軍内で
ディム・レイ出身の見方同士が殺しあってるってことでねえか!

同じ国の人間が殺しあうって…そりゃあねえ!!」


人情深いこのお人よしの男が、
農地では決して起りえない殺戮に慣れないのも
無理は無い。

身を乗り出したエルゼリオは、微かな笑みを見せた。


「国っていうのは、特に大きくなれば大きくなるほど
分割して面倒見ないとだめなんだよ、マルト。

人間の一日に行動できる範囲は微々たるもんだ。

だから、一人が見張れる範囲も少ない。

それなら、いろんな奴に任せればいい。

けれどもそうすると、分割された土地を所有する「責任」ってのが
領地を治める人間には必要になる。
厄介なことが起これば、この「責任」っていうのが
領地を治める人間には、面倒くさかったりする。

それは、言い換えれば
『干渉されたくない領域』があることを意味する

お前、自分の耕した農地を他の奴に取られたら嫌だろ?」


「そら、まあそうだが。」


「貴族も同じだよ。互いに、自分の領地や利益を、
守っていたいんだ。
その為には、極力手間のかからない方法で、
厄介ごとを取り除きたいんだ。」


しかし、マルトには苦い表情が浮かんでいた。

戦争自体にも反対な考えを持つマルトに、
この割り切りすぎる考えを受け入れることは、
自分の意志を自分で裏切るような気分にさせられるらしい。


「そりゃ、オラんとこの農地を誰かにとられるってなりゃ、
そいつんとこに向かってもいくさ。

だがよ、話し合えばいいじゃねえか。別に、

獣と会話するわけでもねえ。
言葉が通じあわねえわけでもねえ。

何でそこで剣を持ち出す?血を流すんだ?」

すると、残った二人は顔を見合わせて、沈んだ笑みを見せた。
最初に口を開いたのは、アーサーだっただろう。

「君は、言葉が通じない人間に出会ったことはないんですね。
羨ましいかぎりです。」

彼の落胆振りは、闇に沈んでいくような錯覚を覚えるほどだった。

こういった落胆を時々見せるアーサーが、
エルゼリオからして見れば、
何か途轍もない中で生きてきたのではないか、
といった確信に至るものとして、
瞳に映った。

マルトには、アーサーの言葉がうまく読み込めない。
言葉が通じなければ、
いったい何で意思の疎通をはかるのか。

「そんな人間がいるなんて、きいたこともねえ。
他の国の奴なら、確かに言葉が通じないこともあるだろうけんど・・・。」

と、アーサーの落胆を気遣ったマルトは、語尾を濁した。


「…そうですね。細分化して物事を図れば、
僕はある意味では君とも言葉が通じない。

人はそれぞれ、「自分の言葉」を持っているんですよ。マルト。」

「『自分の言葉』?言葉はいつでも自分のもんだべ?」


アーサーは、少し困った顔をしてマルトの表情を眺めながら、
少し考えてゆっくりと噛み砕くように話し始めた。


「それは、前提の問題なんですよ。
言い換えれば…そうですね、君が歩んできた道とでもいいましょうか。」


しかし、判りにくそうに頭を掻き始めたマルトに、
エルゼリオは月を眺めながらつぶやいた。

「…まあ、人間判りやすいに越したことはないってことさ。
殺せば居なくなる。煩わされることはない。

遠まわしにしても拗れないほど、
言葉がうまく操れてりゃ、

人間殺しあわなくても済んでただろうよ。」

そう吐き捨て剣の柄を握り締める、不穏に濁った月を眺めるこの男は、
いつか廃墟あたりで見た、雄雄しい彫像に似ていた。

消え入りそうな、退廃の香りと
その美しさ。

併せ持つ者の放つ空気は、もはや人の域ではない。

「君は・・・。」

と、アーサーが問いかけると、
エルゼリオは再び生きた人間の表情をみせ、

妙に二人を安心させた。


「君は不思議な色を持っている人ですね。
やはり吟遊詩人が似合いますよ。」


「馬鹿言うなよ。それよか、アーサーお前俺をうまくひっかけたろ?」


「?」


マルトはその言葉に再び困惑した表情を浮かべたが、
アーサーは思う節があったらしく、
苦笑いをしてみせた。


「…君は何でもお見通しなんですねえ。エルゼリオ。」


こればかりはマルトもさっぱり会話の節が読めなかった。


「まあ、俺の性格を使おうっていう奴は、お袋かあるいは・・・。」


フェイティシア


くらいなものだ。

そう言いそうになって、
ふとエルゼリオは微笑んだ。

いや、彼女はおそらくそれができたとしても、
決してすることはないだろう。
お人よしの塊みたいな人間だ。

しかも、召使い。


今、何をしているだろう。


暖かいシチューを運んで、一人で食べているのか、
あるいは部屋を掃除して、待っていてくれるのか。

窓辺にたたずんで、
この不吉な月を眺めて自分の安全を願ってくれていれば…


何かたった今でも、互いの心が通っている気がして、
エルゼリオは暫く押し黙っていた。

その様子を眺めて、
何か落ち込ませたかと勘違いしたアーサーは

珍しく反省した表情を見せた。

「…すみません。しかし今からしようとしていることは、
必ず行わねばならない任務だったので。
あえて君の好奇心旺盛なところにけしかけてみたんです。

僕一人では心もとなく、
人手も必要かとも思ったもので。」

「はあ〜。そんな手の込んだことしてたのかあ…。
いや、オラあ気づかなかったで。」

と、マルトはしきりに感心している。

本来ならば、こういった知的で狡猾めいた所作によって
怒りがわいても当然だったが、
邪気なく、隠すこともせずに
素直に白状したアーサーと

怒りに無頓着なマルトは、
案外気の合う関係らしかった。

エルゼリオはそれを見て苦笑すると、アーサーに微笑んだ。


「そういうときにはね、素直に全部ばらすんじゃなくて
こう言えばいいんだよ。
『お前の腕を買ってるんだ。俺の一世一代の仕事に、
手を貸してくれないか』ってね。

それだけで、俺はひょこひょこついていってやるよ。
単純だからな。」

そして、一つ深呼吸をすると
瞳を閉じてエルゼリオは、

いつか昔にはじめて見た、
フェイティシアのある表情を思い出していた。

まだ、死ぬわけにはいかない。

眼をゆっくりと見開いたエルゼリオは、
目の前に立つ奇妙で優しげな友人に微笑んだ。

「アーサー、今夜は命を賭けてお前を補佐を勤める。
うまくいかなければそれまでだが、
少なくともお前は必ず生かす。

俺は何が何でも生き延びるが、
それはお前を助けてから。

そういうことでいいか?」

「ありがとう。」

アーサーはいつもの微笑みよりも、
幾分深みを増した笑みを見せた。


ただ、少し迷いのある表情、
何か言いたげな表情を見せた彼に、
エルゼリオは一つの確信を得たが、
今その話題を持ち出す気はさらさらなかった。

「その言葉は用が済んでから何十万回でも言ってもらうぞ。」

とだけ、返した。

「では、わかった。」

「いいだろう。」

万遍の笑みを見せたアーサーに、エルゼリオはちょっといたずらっぽい笑みを見せた。

それから、ちょっと思い出してエルゼリオは、
小指にはめていた指輪を抜こうとして手間取った。
必ず無くすまいと思ってはめただけに、
指に食い込んで離れない。

「どうしたんですか?」

と、アーサーが不思議そうに尋ねると、

「…俺に何かあったら、
この指輪をオーデリオ領に渡してくれないか。

借り物なんだ。」

と、エルゼリオは返した。

何かあったら、とは即ち彼の死のことを言っていたが、
一向に抜けない指輪を見て、アーサーは
しばらく無表情になった。

「…もう少し、よく見せてください。」

と、手をとって眼鏡のまん前まで近づける。

指輪の文様を眺め、
あるいはその価値を読み解いたのかもしれなかった。

いや、おそらく読み解いたのだろう。

アーサーは指輪を眺め、
エルゼリオの顔を眺めると、

いつもの笑顔を消し去って、
しごくまじめな表情を見せた。

「君が、どこでこの指輪を手に入れたかは知りませんが、
貴方が之を持つ者に与えられた以上、
貴方が持つべきものです。

貴方はこの指輪の価値を知らないでしょうが、
一言だけ、言わせてください。」

「うん?」

エルゼリオは興味深くアーサーの表情を見ていたが、
いつもならぴんとくることも、どうやら複雑そうで解らなかった。

アーサーは肩ひざを地に着けると、
右手を胸に当てて眼を閉じた。

「『サハシュの聖地に幸あれ。幸いにして、大いなる祖。』」

「…はあ。何?信仰?」

そういったことに、かなり無頓着なエルゼリオは、
頭を掻きながら恥ずかしそうにしている。

しかし、その言葉を聴いたマルトは、酷く驚いて
口を開いたまま身動き一つしなかった。

「…なんか、すごいお宝なのか?この指輪。」

「ええ。まあ、かなり。いろんな意味でね。」

「しかしまあ、そりゃ、ディム・レイでは
神宝みたいな指輪ってことだべ?

なんでエルゼリオが持ってるんだ?」

「神宝?」

と、エルゼリオは問い返した。
すると、アーサーは優しく微笑んで


「ディム・レイはサハシュ信仰を中心として
国家が成り立っていますから。
神器といって祀る物がいくつかあるんです。

多くが古代のロアーダから代々ディム・レイ王家に
受け継がれてきたものなのですが…。

この指輪はどうやら、
ロアーダからの神器よりも

古いんですよ。

いずれ、話しますがとにかく年代物で、
しかも宗教色が強い。

もしかしたら・・・。」

そう言って、アーサーはまじまじとエルゼリオを見た。

何かを見透かされたと感じたエルゼリオは、
ちょっと照れくさそうにしている。

アーサーは、微笑んで満腹そうなため息をつくと、
「そうですか。なるほど。」
と、小さくつぶやいた。

なんだか解らないマルトは、
まあ、なにやら解決したらしいので
一安心する。

「じゃ、いくべえか。」

と、マルトが腕をまくりあげた。

テントの前には
商人とおぼしき高級な布地の服を見にまとった
腹の出た男が立ち、
入っていくのが月の光に照らされて見える。

「今夜の月に賭けて、生き残る。」

死んでも、また生きても
今夜の月のような色をした瞳にはなるまい。

そう、エルゼリオは心の中で
獣のように強い意志をかためていた。

金という金属の重みと輝きに、酔う人間がいる。
宝石という、鮮やかな色彩と
煌びやかな輝きに満ちた石に

どうしようもなく、
胸をかきむしられる思いを抱く人間がいる。

その商人は、肥えた腹と同様に太くなった指に、
もう指を切り落とさねば取れないだろう、
指の肉に食い込んだ指輪を、
幾つもはめていた。

金の首輪は素晴らしい重さで、彼の肩に
酷い痛みをもたらすこともあった。
しかし、彼はその痛みを、
安い賃金で雇った多くの召使いの手で

除かせることもした。

美しい絹織物は素晴らしい宝石を縫いこんで、
派手な印象だけしか与えない。
特に美しいと感じられる色彩の組み合わせは
彼が選んだというよりは、彼の衣装係ともいえる人間を雇い
組合わさせている。

お陰で、彼の数段腹も『威厳のある腹』といった具合に
うまく見えるという寸法だ。

装飾品の重みは、
時に彼の行動を抑制しはしたが、

変わりに下卑た心と言葉で、
人を操る術を知っている。

そして、勿論操られたがる人間を
巧みに見分ける眼も持っていた。

「お前に会うと、しばらく頭痛がおさまらんな。」

「そう言いますな。伯爵殿。」

にたにたと微笑んで、商人バスフィスは
どっかり簡易な椅子に腰を下ろした。

目の前には、ここしばらく精魂注いで考えてきた
いわゆる傍から見れば『悪巧み』の
共犯者がいる。

アドレ伯爵。

精悍な顔つきの若武者である。

筋肉は剣士としては申し分ないほど均等についており、
戦地で剣を振るうことをせずとも、
恐ろしい剣技を持っていた。

それは、幾分裕福であり、
国都から離れた領地によって

独自の法と権力を駆使した
彼の父の行動の結果、でもある。

彼の父は娯楽と共に、
『戦い』というものに酷く固執した性格だった。

いわば、一般的な貴族が持つある一般的な願望。

即ち中央に進出し、あわよくば国王の寝首をかくという夢を

端的に歪めて作りだされたのが、
彼の息子と、息子を『改造』するための領地内にある
巨大競技場だった。

「あの競技場はなかなか面白いと思ったんですがねえ、
もうやめたんですかな?伯爵。」

「表向きのアレのことか?それとも裏か?」

バスフィスの顔、蝋燭の火で何故かてらてらと光っている。

そのまま無言のバスフィスに、伯爵は冷酷な瞳で射さしたままだった。

この話題を出すことは、
バスフィスにとって子爵を図る『物差し』でもある。

伯爵が動揺すれば、
付け込む隙もできるというものだ。

しかし…。

一度たりとも隙を与えない伯爵は、
死人のように無表情でもある。

互いの共犯関係は、微妙な均衡の上に成り立っていた。
それも、心地よいものではなく、
限りなく不快な感情の上にである。


「では、ご結婚はされませんのかな?良い娘を知っているのですが?」


「遠慮しよう。お前の娘であっても遠慮する。」


「まだ忘れられないご記憶があると見えますな。」


「それがあるから、今こうしているのではないか?」



伯爵は微笑んだが、
その微笑みも死者への手向けにしか見えないと、

エルゼリオがこの場にいれば思うだろう。

淀んだ空気の中で、二人の男は互いに鋭い刃の切っ先を
互いの首の皮一枚すれすれまで
近づけているようだった。


「…では、商談をはじめましょうかな。
しかし、今回の戦は何故こうも長引くのか…。」


「お前が接触したサザランドの村は、
こうも戦闘的な民の村だったとは

聞いていなかったが?」

いたって冷淡な瞳で、
伯爵は目の前のテーブルに広げられた地図に

視線を落とした。

肥えたあごの脂肪をなで、
バスフィスは葉巻を吸いたくなり

懐をごそごそと探し出す。

「まあ、村の人間といってもごく少数の商人で、
しかも同じ穴の狢ばかりでしたのでねえ。

しかし、奴らを除いてほかの人間どもが、
あの鉱石の価値に
無頓着なことは確かなんですがね。」


そのとき、テントの外でがたりと音がして、
バスフィスは息を止めた。

葉巻をにぎった手が震えている。

このような商談を自ら薦めながら、
やはり罪の呵責というものを持ち合わせているのかと、
アドレ伯爵は興味深く目を細めた。

伯爵はしばらく黙ってから、
「続けろ」とバスフィスに促した。

命令を受けたバスフィスは、目の前のアドレが
たとえ一時であっても、
現在は味方であり、自分を保護してくれる存在であることに
気づいて安心する。

多少饒舌に、声を抑えて話し始めた。

「今日はその鉱山地図を持ってきたんですがね。
勿論、この件に関する一切の商いの権利を任せる証書、
いただけるんでしょうな?」


「まだだ。この戦に勝てばやろう。
だが土地が手に入り、
実物を見るまでは無いことだと思え。

気の短い男だ。」


伯爵は目の前に広げられた鉱石地図を見つめながら、
特に何も感じていないようだった。

バスフィスは取り出した葉巻を吸わずに
太い指でもで遊んでいる。

葉巻表面の紙には、派手にディム・レイ貴族たちの
紋章がインクで押されたものを使っているらしかった。
馬鹿げた派手さに、
子爵はひそかにこの商人の趣味に

飽き飽きした。

「金は必要だ。大いにな。戦には金がかかる。

そして、もっぱら駒には健康な肉体が必要だ。
勿論、見合う武器もな。
勿論同士も必要でもある。
だが、事を急げば軋むものだ。」


「やはり剣士と商いは違うんでしょうなあ。
まあ、そう言われると思って
こちらでも手を回しておきましたがね。

これが賛同を得られた『同士』のリストです。」


「何?」


葉巻の一本を取り出すと、
バスフィスは巻いてある紙を

少しずつばらし始めた。

その裏に、つらつらと貴族の名が書かれている。

勿論、葉巻の表面には名の書かれた貴族の紋章が
さまざまなインクで押されていた。

「商いに時間は無いも同然。
事が早ければ早いほど、多く客も取れる。
勿論、周到な情報の網も必要となるが、

実物がなによりの鍵でしてな。」

「…今回のお前の功績は認めよう。
だが、それは危険な代物だ。」


すると、バスフィスはむせるように腹を上下させて笑った。


「之は『葉巻』ですからな。

巻き戻して吸ってしまえば燃えて消える。
この一本は、どうしましょうか?
私が吸ってもいいんですが、
差し上げましょう。

実はもう一本あるのでね。」


「いただこうか。」


伯爵は手を伸ばしたが、バスフィスに阻まれた。
細い眼をさらに細くして、
不適な微笑をみせる商人に

長年見てきたアドレもうんざりさせられる。

「いけませんなあ、アドレ伯爵殿。

この葉巻が『完全な葉巻』
でないことはお分かりでしょう。


貴方の名前を書き込んでこそ、
価値が出るというもの。


今日は二本の葉巻を『作って』いただきますよ。」


「…いいだろう。」


そして、彼はその『証書』ともいうべき二本の葉巻に
名前を記した。

これが、ディム・レイ国家に対して
戦を起こす貴族の同盟名簿であることは、
言うまでもない。

商人は満足げにその証書を見つめると、
再び巻きなおして葉巻の形にした。

この同盟証書が価値をなした瞬間が、
商人バスフィスにとって
ひどく有意義な時であることは

言うまでもない。

彼は、今回こそ正式な同盟証書を組ませたが、
サザランドの民である商人と、一部の権力者には
言語の通訳が曖昧なのを良いことに
ほぼ全く間逆の内容となる同盟証書を作成させたのだった。

アドレ伯爵は、浸けこませる隙を与えぬよう
とりあえずバスフィスに釘を打っておくことにした。

「お前の同盟証書の虚偽がサザランドに漏れたことで、
この戦が始まったのは筋書き通りだったが、
この前お前が気にしていたことは、
解決したのかな?バスフィス。」


この言葉に、バスフィスは一番嫌な部分を突かれたと感じた。


サザランドとの同盟証書を持って
安全な地へ逃げてから彼のネットワークを通して
虚偽の無いようだと漏らすつもりだったのである。

そう漏らすことで、サザランドは戦を仕掛け、
伯爵側も正当防衛として戦を仕掛けることができる。


これが彼の筋書きだった。


しかし、彼以外の誰か、
勿論サザランドの言語に詳しい人間が
正確な同盟証書の内容を
サザランドに漏らしたのである。

それが誰なのか、すでに敵対してしまい
サザランドからの情報が途絶えてしまった現在、
彼は憶測でしか考えることはできない。

しかし、ディム・レイ国と
ロアーダとのリル海峡を範囲とする

交易の中心的な利権を手に入れたい商売人は多い。

特にやっかいな勢力は、ディム・レイとロアーダ、そして
ミルティリアのフィオナ山脈信仰でもある
サハシュ信仰の宣教師によって

航海の経験とネットワークを生かして作られた
『宣教師商会』。

そして、幾分宣教師商会と同じ信仰を持ちながら、
恵まれない環境に育ち山賊、海賊となった者たちが作る
裏の貿易路である『夜の商航路』という集団である。

『宣教師商会』はすでに、
ディム・レイでは古くから国益を生む手段として

多くの商人や商会の中で、
利権の五割ほどを占めている。

だが、宗教上の信条のため、
正当なために武器などの輸出入には制限があり、堅い。

変わりに、『夜の商航路』は
武器の多くを占めているらしいが、

同業者であってもその実態はかなり暗く、見えにくい。

そのどちらであってもおかしくは無いが、うかつに手を出すと
酷い仕打ちを食らう二大勢力なため、
現在でももっぱら、バスフィスのアキレス腱になっている。

「…戦を起こす意思はあるのだから、
『夜』のほうがもしれませんな。

武器が売れる。だが…今回の同盟内容が同盟内容だ。

『サザランドの土地を譲り渡す』となっていれば、
『宣教師』であっても、
サザランド民の怒りはおさめられますまい。」


「せいぜい呪い殺されるがいい。バスフィス。」


伯爵はそう言った次の瞬間、
テントの外に向けて握っていた剣を抜くと、
布もろともに切り裂いた。

裂けた布の向こうには、
テント入り口前を守っていた兵士の姿がある。

しかし、周到に除けて立っているその姿は、
以前立っていた兵士とは違う人間だと、
伯爵はすぐに気づいた。


その兵士は、微かに微笑んでいる。
麗しい金髪が兜からこぼれ、
アドレ伯爵はすぐに「あの男」だと理解した。

「…お前はたしか、エルゼリオ…とかいう者だったな。」
「ご名答ですな。伯爵殿。」



そういうが速いか、エルゼリオは剣を抜くと
アドレの喉下に突きつける。

しかし、不敵な笑いをみせる伯爵は、いともたやすく
彼の剣を手持ちの剣ではらった。

幾らか技が繰り出され、刃が重なり合い火が散るような音を放つ。

エルゼリオはじりじりと下がり始めたが、
それは決して計画していたことだから、とは言えなかった。

伯爵は戦でその技を見せることこそ無かった。

しかし、エルゼリオは確信する。

この男は強い。

しかも、
もしかしたらあのアーサーですら、

この男には勝てないかもしれない。

「くそっ。」

そう漏らしながら、何故か笑みがこぼれるのは、
エルゼリオの本能なのかもしれない。